その内容は「人に道を聞く」というものだった。
これでさえ、大きな挑戦だった。
そして今日は、これを一歩前進させようとした。
昨日と同じメソッドよりも、新しいメソッドを試してみたかった。
今日は眠いし、あまり気分が乗っていたわけじゃないんだが。
ナンパの音声をイヤホンで聞きながら、ナンパ本を読みながらテンションを上げていった。
これはすごく有用な方法で、自分の気分をガラッと変えてくれる。
個人的な意見だが、本を読むわけではなくて、音声も聞いた方が良い。
たとえば英語を覚える時も、英語を浴びるように聴いたり、慣れ親しむことが大きく役立つ。
これと同じで、ナンパに関する情報をシャワーのように浴びて、ナンパという価値観自体に慣れ親しむこと。
「ナンパ目線で世の中を見ること」に自分を慣れさせることは、本当に重要だ。
なぜならナンパするかどうかは、価値観の問題だからだ。
だが、いざ道に出て実践しようとすると、とてもうまくナンパ出来そうになんかない。
「話しかける」「警戒心を解く」「話を弾ませる」「LINEを聞く」「カフェに行く」
そんなイメージを膨らませれば膨らませるほど、自分がキモく思えてきて、とても不可能に思えてくるのだった。
途中で言うことを忘れたらどうするのだろう。
だが「究極の男磨き道 ナンパ」という本には、こんなニュアンスのことが書かれていた。
「トレーニングメニューが間違っていたらなかなか上達しない」と。
そこで俺は、ぐっとハードルを下げて、いまの自分で最もハードルが低く、後味も悪くないフレーズを考え出すことにした。それは、こうだ。
「おつかれっす」
「あ。。。。ごめん、間違えたわ!」
たったこれだけ。
俺は初心者だ。ど素人。初心者のうちは、無理に欲張らないことにした。女の子に話しかけても、話を続けようとしない。一瞬でその場を離れる。だから心理的ダメージが少ない。
実際に俺は、このフレーズで3人に声をかけてみた。
このうち二人が、こっちを振り向いてくれた。
1回目は後ろから話しかけて無視された。
2回目は斜め前から話しかけて、向こうが振り向いてくれた。
3回目はそれに加えて「あれ、、、竹中さんですよね?」というフレーズをひとつ加えてみた。
このように挑戦回数自体は3回ながら、少しずつマイナーチェンジを加えていった。
こうして俺は、ナンパ二日目にして、また「地蔵になる」という現象を回避することが出来たのだ。
そして、たったこれだけの行動が、脳のアドレナリンを大きく刺激した。
通行人は、ただの通行人じゃない。
ロールプレイングの「村人」ではなく、自分と関係する可能性がある「登場人物」なのだという、価値観の大きな転換、その兆しを感じた。
(「モテる漫画」参照)
きっとこの先には、すごい世界が広がっている予感がした。
そして、ナンパ二日目にして女の子に声をかけて、そして、それにを後悔もしていない、むしろワクワクしている俺がいる。
街コンから立ち飲みBARにフィールドを移し、店内で守られた安全な場所とは言え、自分から女の子に話しかける訓練をしたことが、経験として役立っている。
「いま、自分にできることをすること」「無理めだったら1クッション置くこと」「大丈夫そうになったら次のステージに挑戦すること」
こうやって少しずつ慣らしていくことは、すべての技術の練習の本質であり、本当に重要なことだと思った。
ハードルが高過ぎれば心が折れてしまうし、逆に低すぎれば成長がない。
ちなみに、こんなオドオドした心理状態の男が、女の子に話しかけることに後ろめたさも感じていた。
女の子を楽しませられる男ならまだしも、俺みたいな臆病な初心者が話しかけるなんて。迷惑以外のなにものでもないのでは?
だけど逆に、こうも考えた。こんな弱っちい状態の男が、女の子を不快にさせたり、傷つけたりすることなど、そもそも不可能なのだと。
そして、何事にも踏み台というものは必要だ。
人は人に多少の迷惑をかけなければ、成長することなんて出来やしない。
「迷惑をかけるかもしれない」と悩みながら、どんどんと時間は過ぎていき、そして人生を終えるのは、あまりにも勿体ない。
「ほんの小さな迷惑をかけること」を恐れて、自分の人生を投げてしまい、女の子たちも楽しませられない。
それよりも人にほんの数秒の、ほんの小さな迷惑をかけて、もっと女の子たちを楽しませられる男になろう。
といっても本当は、これを「迷惑だ」と考えてしまうこと自体が、実は自意識過剰なのだ。
だからこう考える。俺たちはナンパで人に「迷惑をかける」ことなんて出来やしない。
たとえば暴力をふるったり、酔って絡んだり、暴言を吐いたりしたら明らかに「ルール違反」だが、そうではなくて、あくまでのプラスの努力を続けるならば、それが女の子の迷惑になることなどありはしないのだ。
ナンパには価値観の転換が必要だ。
俺たち日本人が錆びついた価値観に溺れきっている、その泥沼から体を洗って、もっと純粋な、ナチュラルな心。
「人という存在自体を肯定する心構え」が必要だ。
と、ナンパ二日目の俺はそんなことを考えている。
「他人は怖い」
「他人に関わってはいけない」
「他人に挨拶してはいけない」
「偶発的な出会いを楽しんではいけない」
こういった狭苦しい考え方、いつの間にかはまってしまった「価値観の罠」を抜け出して、ナチュラルな心を取り戻すこと。
きっとそれがナンパの究極の目的なのではないかと思う。
(ピカソは「子供のような絵を描く」ことに生涯を費やしたという)
君にも幸運を。
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