2016年11月2日水曜日

心から今日を楽しむのは脆弱さの証明じゃない

笑ってしまうかもしれないが、この日の目標は「リラックスしながら、楽しんで話すこと」だ。
俺はこの日、ささやかながら、その目標を達成した。

女の子を捕まえることが目標じゃないなんて、本当なのか? と思うかもしれない。
だがこのゲームは長期戦だ。まずは初心に戻って、基本から作り直すことも大事だ。

最近の俺は成果を焦って緊張していた。
顔も強張っていただろうし、話し方も不自然だったはずだ。
だからこの日は、リラックスして、この店で飲むこと自体を楽しむことを目標にした。「自分作り」の一環だ。

俺にとって最も大事なことは、フィールドに「通い続ける」ってことだ。
そのためには、あまり辛い思い出ばかりではいけない。
女の子がつかまる、つかまらないに限らず、この店に来ていることを「本当に楽しむ」という経験が必要だ。
そう、女の子を捕まえることなんか二の次で、まずは自分が楽しむこと。すべての時間で楽しめる自分を作ることが最優先だ。

そうすると他の人とも話しやすいし、店員さんからも話しかけられる。
それは自分が「楽しんでいて、話しかけやすい男」になっているからだ。
この現象は今までに何度も経験していて、自分がリラックスした状態でニコニコしていると、他の女の子と目線が合ったり、他の男から話しかけられたりするのだった。
そして目の前で女の子と話していても、自分が焦って話を見つけるのではなくて、逆に質問を受けるようになる。やはりこの店で「楽しんでいる男」になることは、本当に重要なのだ。

自分がそういう気持ちでいると、他の男が「つまらなそう」だけど「ギラギラ」している感じで店に入ってきたときに、ものすごくそれが身につくし、よくわかる。
「ああ、女の子を捕まえにきたんだろうな」「でも、つまらなそうな顔してるなあ」といった感じ。
まったく人間というものは、自分の心の状態が人には分からないと思っていて、実は全部出ているということに気づいていない。
特に、自分の印象作りを心がけていない男なんか、心の状態が筒抜けだ。
もし俺が女なら、そんな奴らとは話したくないだろう。

人間の印象っていうのは本当に大事だ。
言葉の内容より、アプローチの技術より、まずは雰囲気だ。
その場所にいることを楽しんでいるということは、確実に女の子にも伝わるからだ。
これが「楽しむ」っていう軟弱な日本語でしか表現できていないことがもどかしいのだけれど、本当はもっと重要なことを指し示したい。

さて、この日は本当に人が少なくて、しかも一番混み合う時間帯も、男が8割という感じだった。
だがこの日の目標は「リラックスして、楽しく話す」ことだったので、俺は男女構わず声をかけた。
店内全員に話しかけてみようかと思ったが、実際に話したのは1割、2割ぐらいの人々だ。

常連の男と話し、初対面の女の子と話、初対面の男共話す。
男と話していて、時間が惜しいとは思わない。どうせこの日は男が8割だ。ほとんどの男は女の子がつかまらずに退屈そうに過ごしている。
「男と話す」には絶好のシチュエーションだったかもしれない。
なぜなら仮に、可愛い女の子が5割なんていう最高のシチュエーションであれば、どんな男も、俺だって女の子を捕まえることに夢中で、他の男のことなんて目にも入らないだろうから

この日の俺は、一番最初の目標を見失わず、心が彷徨い始めそうな時には、センタリングをして「自分がリラックスすること」に意識を戻した。

ひとつ意外だったのは「こいつ、絶対に話しかけても冷たく返すタイプだろう」と俺が思った男(女の子ではない)でも、いざ話しかけてみると、意外とフランクな奴で、明るく返してくれたことだ。
人は見かけによらない。見かけによる場合もあるが、よらない場合もある。
これは女の子にも言えることで「きっとこの子、こんな子なんだろうな」と先入観を持っても、それは外れる可能性の方が高いということだ。
むしろ自分の先入観が、相手を「そういう奴」にしてしまう危険がある。
つまり女の子に対して「きっとこの子は冷たいはず」とか「男なんて求めてないはず」と思いながら話しかけると、それが実現してしまう可能性が高いのだ。

だから女の子を見たときは、なるべくこう思いながら話し掛けよう。
「この子はきっと優しいところがあるはず」「この子は絶対、いい出会いを求めてるはず」ってね。

ところでこの日は、20代の既婚者の女性がいた。それが森山未來に似たシャイな男を捕まえて話していた。
俺が男に「カップルですか?」と聞くと、違う。今日会って話している関係だということが分かり、しばらく

自分が既婚者だと言いながら、なおかつこのBARに来て男をつかまえるというのは、どういう気持ちなのだろう。
俺は確実に、浮わついた気持ちがあると思う。
彼女と話していると、すごく運命的なものを重要視する考え方であることが分かった。たとえば、ひとつのエピソードはこうだ。

彼女がかつて道で、まるで漫画のように、自転車を端から端まで「どたーっ」と倒してしまっている男を見かけたらしい。
彼女はその時、その男に話しかけるか話しかけまいか迷って、急いでいるので話しかけずに通り過ぎたらしい。
だけどそのことを今でも、本当に悔やんでいると、彼女は言った。
「もしあのとき彼に話しかけていたら、まったく人生の別のルートを追っていたかもしれないのに」というようなニュアンスの話だ。

これはまさに、運命を信じる女性。一瞬のロマンチックな出会いを受け入れやすい考え方。
表現こそ間接的ではあるけれど、「浮気をしたがってる」女の子の考え方だと言える。

そして既婚者は「そろそろ夫がBARが来る」と言いながら、なぜか森山未來似の男の子と帰っていった。
あの後、どうなったのだろう。彼女と彼が、うまくいっていると良いのだが。

そしてその後の俺は、とある三人組の男と、女の子の捕まえ方について話し合ったりしていた。
フィールドに8割が男っていう日だが、向こうに女の子二人組が見えたので、俺たち全員で話しかけにいく。
最初に女の子たちを見つけたのは自分だ。そして、他の誰に任せるのでもなく、俺は率先して女の子たちに話しかける。
こういう時、他の男をアテにしてもまったく意味がないし、経験にもならないし、自分ひとりの力で率先して動く必要があるということは、俺は今までの経験から理解している。

まあ、彼女たちはあまり可愛くはなかったのだけれど。
皆、あまりテンションが上がりきらずに、LINEも聞かずにテキトウに話して、そして店は閉店の時間になった。
なぜか男の中のひとりが、俺にビールをおごってくれた。(笑)

そして、その中の別の男とは、別の日にも立ち飲みBARに行く約束を決めたのだった。
そう、男のパートナーは、女の子を捕まえるための強力なツールになる。

まあ、自分ひとりで行動できるようになることが一番の目標なのだけど。
たまにはチームでタッグを組んで、共闘することも悪くないだろう。

俺が基本ひとりで行動するのには理由があって、もしひとりでも女の子を自由に捕まえられる男になれば、最強じゃないか。
RPGでパーティーを組まずにボスを倒すようなものだ。
俺は「友達がいなきゃ何もできない男の子」なんかになりたくない。俺がなりたいのは、ひとりでもちゃんと行動できる大人の男だ。
だから俺は基本的に一人でこの店にきている。
(ただ、信頼できるパートナーがいた方が成功率が上がることは見込まれるので、お互いにひとりでも行動できる男であることは大前提で、日によっては、今後誰かとタッグを組んでみても良いかもしれない)

あとはフットワークが軽くなる。いつも他の男を誘って店に行かなければいけないなら、週に3回も4回も都合を合わせられないだろう。
ひとりの強さというのは、気軽さだ。他の男が「オトモダチがいなきゃひとりで来られない」状態をさしおいて、いつでもBARに来て、いつでも経験値を積むことができる。
女の子に話しかける時だって、男同士で「どうする?」「どうしようか?」と相談することもなく、自分の一番良いタイミングで話しかけにいくことができる。
そう、大人の男は自分の判断で、自分が決断して動くものだ。
友達を頼りになんとなくノリで話しかけ続けても、それは大人の男の証明にはならないだろう。

さて相変わらずだが、飲んだ記憶は放っておいたら薄まるものだ。
だがこうして文章として書き起こすと「実はこんなにたくさんのことが起こっていたんだな」と改めて気付かされる。
今日もキーボードを触るまでは「あんまり書くこともないしなあ」ぐらいに考えていたのだが、とんでもない。
短い時間にも多くの出来事があり、多くの課題、反省点があった。

どのぐらいの「彩度」で経験を受け取るか。細かく課題を見つけるかということは、自分の成長スピードに大きく影響してくる。
俺はまだまだオープナーが弱い。最初に話しかけて冷たい女の子たちに、食いついて心を開かせることが出来ていない。

この日は「血液型、当ててあげようか」というオープナーをはじめて使った。
結果としては滑ったが、このオープナーを磨き上げていく道だってあるだろう。
まず「オープナーを用意する」「それを実践して磨き上げる」という発想ができたこと自体が大きな前進だ。
言ってみれば、何も装備していなかった部位に、まったく新しいアイテムを見つけたようなものだ

今までの俺はとりあえず女の子に話しかけて、あとは状況のままに話を続けるだけだったからだ。
今後は自分のオープナーを探して、身に付け、磨き上げていったら良いと思う。
第一「次はどんなオープナーを使おう」「次はもっとオープナーをうまいこと使おう」なんて考えていたら、毎回発展があって楽しいばかりじゃないか。

そう、こうやって俺たちは「やがて来る成功」「やがて出会うであろう理想の女の子」に対して、ひたすらの練習を積んでいくわけだ。
目の前に見えているものは全てではない。すべては「準備」でもあり、すべては「本番」でもあり、最終的な目標に辿りつくまでも階段なのだ。
そして俺は、まだこの階段を登り始めたばかりだ。
俺は人生の中で、自分の出来るところまでこの階段を登りたい。
これからの人生で「運命を感じる人と出会ったけれど、アプローチの仕方が分からなくて何もできない」なんてまっぴらごめんだからだ。
アプローチの仕方を覚えるということは、男にとって使命みたいなもんだ。
みんな理想の女の子を見つけたいし、そのための努力であれば代価を惜しまない。
皆があらゆる手を尽くして努力しているのだから、俺もそれに負けないように努力して、もっとパフォーマンスを高めてゆく。

だけどそれでも俺たちは、本当のアスリートに比べたら、草野球にも及ばないレベルの、なんてレベルの低い戦いをしているんだろう。
だから自分を「よく頑張っている」なんて思わずに、まだまだ練習が足りない、まだまだパフォーマンスが低い、成長の余地があると考えることだ。本当にそうなのだから。
勉強できることがあれば、残さずすべて勉強した方が良い。
能力が伸ばせる余地があれば、それを可能な限り伸ばした方が良い。

それでは、君にも幸運を!




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